片恋
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片恋の薄着のねるのわがうれひ
曳舟の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息のちるぞえな。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
作者と作品について
- 作者
北原 白秋(きたはら はくしゅう)
1885年(明治18年)~1942年(昭和17年)
福岡県出身
- 作品
「片恋」は、詩集『東京景物詩乃其他』に収められています。
この詩集は後に、『雪と花火』という風に改題しているのですが、その時に白秋は以下のような文章を寄せています。
ここに特筆大書して置きたいのはわが詩風に一大革命を惹き起した『片恋』の一篇である。
(中略)
私の後来の新俗謡詩は凡てこの一篇に萠芽して、広く且つ複雑に進展して行つたのである。
官能的な象徴詩や叙情的な景物詩など、さまざまなスタイルの作品を生み出した白秋にとっても、「片恋」はエポックメイキングな詩でした。
この一篇の詩を起点として、白秋のあの親しみやすい民謡が童謡が派生したのでしょう。
「片恋」という詩だけを見ても、片想いの切なさが、どの言葉からもあふれているようです。口ずさみたくなるような、とてもいい詩だと思います。
「片恋」の解釈
さて、「片恋」を一言一言、紐解いていきましょう。
あかしあ
「あかしあ」は、今で言うニセアカシア(別名:ハリエンジュ)のことです。
明治時代に日本に輸入された当初は、このニセアカシアがアカシアと呼ばれていました。のちに本来のアカシアが輸入されるようになり、区別するためにニセアカシアと名付けられるようになりました。
白秋の童謡『この道』に出てくる「あかしあ」も、ニセアカシアと言われています。
金と赤
金と赤という、目に鮮やかな二色は、白秋独特の色彩表現です。
同じ色の組み合わせが出てくる詩に、「糸車」があります。
散るぞえな
「ぞえな」という語尾は、今では聞かれない言葉ですね。
結論を先に言うと、「ぞ」も「え」も「な」も全て終助詞です。
(終助詞「ぞ」に終助詞「え」が付いた連語「ぞえ」の後に、さらに感嘆の終助詞である「な」が付きます)
「ぞえ」は音変化したものが、今で言う「ぜ」に当たります。
「切ないぜ」とか「悲しいぜ」の「ぜ」です。
「散るぞえ」は、「散るぜ」と言い換えれば、分かりやすいでしょうか。(ちょっとキザですね)
「散るぞえな」は、「散っていくな・・・」という風に訳した方が、しっくりいくでしょう。
かはたれ
「かはたれ」は漢字で書くと「彼は誰」。
顔や姿が見えないような、明け方の薄暗い時のことを、一般的には言います。
夕方のたそがれ(誰そ彼)とは反対語になります。
ねる
「ねる」はネルのこと。
ネルと言えば、フランネル(毛織物)とネル(綿織物)の二種類ありますが、ここで言うネルは後者の方でしょう。
綿ネルは明治初期に和歌山で開発されて、日本全国に広がるようになりました。
白秋の短歌に、こんな歌もあります。
片恋のわれかな身かなやはらかにネルは着れども物おもへども
引用:歌集『桐の花』
曳舟
現在の東京都墨田区の町名である「曳舟」です。
※以上、「片恋」について注釈を加えてみました。
この詩はたとえ言葉の意味がよく分からなかったとしても、感覚的に味わえるような魅力があると思います。名作は時間を飛び越えて、心に響くのですね。