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北原白秋 「糸車」(詩集『思ひ出』より)

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糸車

糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ、
その糸車やはらかにめぐるゆふべぞわりなけれ。
金と赤との南瓜たうなすのふたつころがる板のに、
「共同医館」の板の間に、
ひとり坐りし留守番るすばんのそのおうなこそさみしけれ。

耳もきこえず、目も見えず、かくて五月となりぬれば、
ほのかににほふ綿くづのそのほこりこそゆかしけれ。
硝子戸棚に白骨はつこつのひとり立てるもめづらかに、
水路のほとり月光のななめすもしをらしや。

糸車、糸車、しづかにもだす手のつむぎ、
その物思ものおもひやはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。

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作者と作品について

  • 作者

北原 白秋(きたはら はくしゅう)
1885年(明治18年)~1942年(昭和17年)
福岡県出身

  • 作品

「糸車」は、北原白秋の第二詩集『思ひ出』に収められています。
この詩集は、故郷である水郷・柳河を背景に、幼少期の思い出が色鮮やかに描かれています。

「糸車、糸車」というリフレインが、糸車の回転音を思わせるとともに、子どもの頃の幻想的な心象風景を巡らせているようです。

第一連の「金と赤との南瓜」は、夕日に照らされた南瓜のこと。白秋の詩では、金も赤も多く見られますが、この色の組み合わせは斬新ですね。
ふたつ転がる南瓜は、ひとり寂しく坐る老婆と対照的です。

第二連の「共同医館」は共同診療所、「白骨」は標本の白骨のこと。
暖かな五月と綿くずの匂いは、硝子戸棚や月光の冷ややかさと対照的です。

そして第三連(最終連)
第一連や第二連のような、鮮やかなイメージが描かれることはありません。
糸車を回す手も静かになり、糸車でなく物思いがめぐっていきます。

第二連から第三連にかけて、映画がフェードアウトするような、視点の変化を感じます。
第一連と第二連が子どもの白秋の視点で描かれているのなら、第三連は目の見えない老婆の視点でしょうか。もしくは、第三連は大人の白秋の視点なのでしょうか。

いずれにしても第三連は、まぶたを閉じて物思いの気配に耳を澄ましているような印象があります。かすかな余韻も響かせています。

とても不思議で、どこか懐かしい詩ですね。

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