樹下の二人
あれが
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
作者と作品について
- 作者
高村 光太郎(たかむら こうたろう)
1883年(明治16年)~1956年(昭和31年)
東京都生まれ
- 作品
「樹下の二人」は、詩集『智恵子抄』に収められています。
私は以前、福島県二本松市にある、智恵子さんの生家を訪れたことがあります。
阿多多羅山と阿武隈川は、それは雄大で、澄み切っていて、智恵子さんが終生故郷を懐かしがっていたのも、無理はないと思いました。
光太郎の智恵子さんに対する愛が、純粋で理想と言えるものだったのか、エゴイズムに過ぎなかったのかは、私には言えません。
それでも、光太郎自身も混沌とした渦を抱えて、それに立ち向かっていたのではないかと思います。
私はそういった光太郎の人間らしさを、好ましく感じています。