高村光太郎 「レモン哀歌」(詩集『智恵子抄』より)

レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉のどに嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

作者と作品について

  • 作者

高村 光太郎(たかむら こうたろう)
1883年(明治16年)~1956年(昭和31年)
東京都生まれ

  • 作品

「レモン哀歌」は、詩集『智恵子抄』に収められています。

この詩がなんで秋の詩に当たるのかと、思う方もいるかもしれませんが、智恵子さんの命日が10月5日なのです。
『智恵子抄』を昔から愛読している私は、その日がめぐってくるたび、この詩のことを思い出します。

晩年に統合失調症を患い、肺結核で亡くなられた智恵子さん。
その最期の時のことが、この詩ではうたわれています。
東京で暮らしながらも、故郷のすがすがしい自然を希求して止まなかった智恵子さんの思いが、ここにも反映されているような気がします。

「智恵子の半生」という文章で、光太郎は次のように語っています。

彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかった。
(中略)
その最後の日、死ぬ数時間前に私が持って行ったサンキストのレモンの一顆を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであったろう。彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗われているように見えた。

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