竹
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
竹
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
○
みよすべての罪はしるされたり、
されどすべては我にあらざりき、
まことにわれに現はれしは、
かげなき青き炎の幻影のみ、
雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、
ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
すべては青きほのほの幻影のみ。
作者と作品について
- 作者
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)
1886年(明治19年)~1942年(昭和17年)
群馬県生まれ
- 作品
「竹」は、詩集『月に吠える』に収められています。
これは萩原朔太郎の第一詩集で、口語自由詩を確立した詩集として知られています。
明治時代はまだ、昔ながらの書き言葉で、五七調や七五調で綴られた詩が中心でした。そんななか、大正6年(1917年)に発行された『月に吠える』は、人々に新鮮な驚きをもたらしました。
「自由なリズムで話すように書かれた詩が、こんなにも音楽的で、身も心もゆり動かすものなのか!」
『月に吠える』を手にした当時の人々は、そう感じたに違いありません。
- 音楽性に富み、
- 繊細で鋭敏な感受性で、
- 心身の奥底を生々しくイメージ化する。
これが萩原朔太郎の詩の特徴と言えます。
「竹」の解釈について
さて、『月に吠える』には、「竹」という詩が二篇収録されています。
その両方の作品を、ここでは紹介しますね。
「竹」の詩では、青い竹が凍える冬にまっすぐするどく生えていく一方で、地下では根や繊毛がふるえるように生えていきます。
青い竹が、目に見える詩の表現だとすれば、根や繊毛は、詩人の奥底にある繊細な神経を象徴しているような感じがします。
他にもさまざまな解釈ができるかもしれませんね。根が枝分かれするように、どこまでもイメージを広げるられるのが、いい詩と言えます。
「竹」の表現について
「竹」の詩は、リフレイン(反復法)やリズム(脚韻)といった、表現の面でもみごとです。
「ますぐなるもの地面に生え、」から始まる詩と、「光る地面に竹が生え、」から始まる詩の前半では、eの母音で韻を踏んでいます。
例:生え、たえ、ふるえ。
「光る地面に竹が生え、」から始まる詩の後半では、iの母音で韻を踏んでいます。
例:しるされたり、あらざりき、幻影のみ、
しかも、単一に韻を踏むのでなく、不規則にaやoのような他の母音を交えるのも絶妙です。このことで、よりリアルに身体に響いてきます。
「、」の読点も、涙のようにも繊毛のようにも見えるから、不思議です。
私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
萩原朔太郎は、『月に吠える』の序で、このように述べています。
「竹」の詩もまさに、以心伝心のリズムですね。