蝶を夢む
座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼をひろげる
蝶のちひさな 醜い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寢床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。
夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情が
とほい水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。
あたらしい座敷のなかで 蝶が翼をひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼をふるはしてゐる。
作者と作品について
- 作者
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)
1886年(明治19年)~1942年(昭和17年)
群馬県生まれ
- 作品
「蝶を夢む」は、同名の詩集『蝶を夢む』の巻頭を飾る作品です。
本来なら儚いはずの蝶の翼が、あつぼったい重みでもって描かれているところに、この詩のかなしみがあると思います。
しかも、暖かい春に舞う蝶ではなく、これから寒くなっていく秋の夕べに、翼をふるわせている蝶なんですよね。
上手く言葉にできなくてもどかしいです。
でも、変に感想を述べてしまったら、この夢の世界が壊れてしまいそう。
不思議なノスタルジーを感じさせる作品だと思います。