はる
おれがいつも詩をかいてゐると
永遠がやつて来て
ひたひに何かしらなすつて行く
手をやつて見るけれど
すこしのあとも残さない素早い奴だ
おれはいつもそいつを見ようとして
あせつて手を焼いてゐる
時がだんだん進んで行く
おれの心にしみを遺して
おれのひたひをいつもひりひりさせて行く
けれどもおれは詩をやめない
おれはやはり街から街をあるいたり
深い泥濘にはまつたりしてゐる
桜咲くところ
私はときをり自らの行為を懺悔する
雪で輝いた山を見れば
遠いところからくる
時間といふものに永久を感じる
ひろびろとした眺めに対ふときも
鋭角な人の艶麗がにほうて来るのだ
艶麗なものに離れられない
離れなければ一層苦しいのだ
その意志の方向をさき廻りすれば
もういちめんに桜が咲き出し
はるあさい山山に
まだたくさんに雪が輝いてゐる
万人の孤独
私はやはり内映を求めてゐた
涙そのもののやうに
深いやはらかい空気を求愛してゐた
へり下つて熱い端厳な言葉で
充ち溢るる感謝を用意して
まじめなこの世の
その万人の孤独から
しんみりと与へらるものを求めてゐた
遠いやうで心たかまる
永久の女性を求めてゐた
ある日は小鳥のやうに
ある日はうち沈んだ花のやうにしてゐた
その花の開ききるまで
匂ひ放つまで永いはるを吾等は待つてゐた
蒼空
おれは睡いのだ
かれはかう言つてやはり睡つてゐた
かれの上には
大きな蒼蒼とした空が垂れてゐた
かれの目は悲しさうに時時ひらく
日かげはうらうらとしてゐる
地主が来て泥靴をあげて蹶りつけた
けれどもかれはすやすやと
平和にくつろいで寝てゐた
やがて巡査が来て起きろ起きろと言つた
かれはしづかに眼をあいて
また睡つてしまつた
みんなは惘れてかへつて去つた
草もしんとしてゐた
蒼空はだんだんに澄んで
その蒼さに充ち亘るのであつた
作者と作品について
- 作者
室生 犀星(むろう さいせい)
1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)
石川県金沢市生まれ
- 作品
「はる」「桜咲くところ」「万人の孤独」「蒼空」は、詩集『愛の詩集』の冒頭部分に収められています。
第一詩集の『愛の詩集』と、第ニ詩集の『抒情小曲集』は、同じ大正七年に出版されていますが、作品としては、『抒情小曲集』の方がより若い時期に書かれています。
上の四詩は、詩集の自序から推測するに、20代半ばごろの作品です。
あえて例えるなら、『抒情小曲集』が青い透明感で満たされた詩集なら、『愛の詩集』は青い生々しさで迸った詩集といえるかもしれません。
青春のリアルな苦悩や情熱が、ここにあります。