秋の日
つかの間に消え去りし
つかの間に消え去りしは
あきつのかげにあらざるか
ぐらすのごとき秋の日に
かげうち過ぐるもの
わが君のかげにあらざるか
とほき床屋のぎん鋏
波を越えくるかげなるか
あらずおんみのひとみより
わが眼うれひてかげを見る
小曲
逢へぬこのごろ
秋はバツタのほねに沁みにけむ
手にとりみればちからなく
銀の片脛折らしたり
月草
秋はしづかに手をあげ
秋はしづかに歩みくる
かれんなる月草の藍をうち分け
つめたきものをふりそそぐ
われは青草に座りて
かなたに白き君を見る
くらげ
秋なれば
くらげ渚に
うちあげられ
玻璃のごとくなりて死す
静かなる空
秋の日のかたむくかたに
土はおとなくしめり
たえまなく空とひたひに
なやみてつづく
ただながれもあへぬ秋の中
あをき梢はかわきゆき
われはおとなく
ねむりゆく
しづかなる空と土の上に
朱き葉
枯木をゆすりその朱き葉を落す
そのもとにわれはさりえず
なみ立てる枯木は肌にしみてうつり
肌は青くも冷えたり
今しづかにしほらしき心立ち戻り
朱き葉をふどころに去らむとすれば
朱き葉はわが肌になじみえず
作者と作品について
- 作者
室生 犀星(むろう さいせい)
1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)
石川県金沢市生まれ
- 作品
「秋の日」「小曲」「月草」「くらげ」「静かなる空」「朱き葉」は、詩集『抒情小曲集』の第二部に収められています。
私は犀星の、秋の詩が好きです。
秋のひんやりとした感触が、鋏やバッタやくらげなどの、予想外の描写によって、ひしひしと感じられるんですよね。
もともとは俳句から文学の世界に入った犀星だから、短い詩にもポエジーがあります。