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高村光太郎 「冬が来た」(詩集『道程』より)

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冬が来た

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹いてふの木もほうきになった

きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木にそむかれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食ゑじき

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

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作者と作品について

  • 作者

高村 光太郎(たかむら こうたろう)
1883年(明治16年)~1956年(昭和31年)
東京都生まれ

  • 作品

「冬が来た」は、詩集『道程』に収められています。

光太郎は「冬の詩人」と呼ばれるほど、冬の詩を多く生み出しています。例えば、冬を冠する詩では、「冬が来る」や「冬の言葉」など。

「冬が来た」は、冬の厳しい精神性を、力強く簡潔なことばでうたっています。

「八つ手」は初冬に白い小花を球状に咲かせる花。「公孫樹」はイチョウのこと。それらの花や葉が消え、生命体がむき出しになっている冬が、第一連で描かれています。

「人にいやがられる冬」「草木に背かれ、虫類に逃げられる冬」と、どのような生物も居づらく感じる冬が、第二連でさらに描かれています。

そのような冬を、むしろ生きていくための「餌食」として、潔く迎えようとする第三連。

そして第四連では、「火事を出せ」「雪で埋めろ」と、精神の昂揚が見られます。

連を追うごとに、どんどんと調子が高まっていく詩。

冬をきっぱりと内部に受け入れて、透き通るような、突き抜けるような精神が、ここにあります。

 

さて、高村光太郎の冬好きについて、思潮社の現代詩文庫の解説で芹沢俊介さんが、次のように述べています。

高村は、体質的に夏をきらった。反対に、冬を好いた。また春、秋ではなく冬であった。冬にかかわる詩が多くかかれているのは、高村の冬好きと深く関係がある。けれど、それだけではない。冬のモチーフは、日本的叙情の伝統の連続性を切断するために、詩意識に呼び込まれたものであった。(引用元:現代詩文庫 高村光太郎)

つまり、日本特有のセンチメンタリズムを越えて、もっと先へ進みたいという抱負が、光太郎にありました。

「冬が来た」が収められている詩集『道程』は、口語自由詩のパイオニアと呼べる詩集です。

 

私は、光太郎の冬好きについて、彫刻家であることも関係するのではないかと思います。

彫刻家は刃物を握り、木や粘土を削いで、作品を現わすのが仕事です。

その峻厳さは、冬という季節につながるのではないかと感じます。

絵画のような足し算の芸術とは違い、彫刻は引き算の芸術です。引き算した後の答えに、作品の命がありありと見えます。

だからでしょうか。

「冬が来た」の詩の最後にある、「刃物」という言葉にハッとさせられるのです。

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